炎天下のアスファルトに立って、観光客相手に物乞いをするインドのストリートチルドレン。
一方ではエアコンの効いた部屋でテレビを見ながらお菓子を食べる子どもたちが暮らしています。
モンゴルには、氷点下の街のマンホールの中で暮らす子どもたちと、暖房のある家で暮らす子どもたちが暮らしています。
二つの階層、二つの世界の人々は隣あっていても交わることはありません。
二つの世界の子どもたちの教育機会は平等とは言えず、それが就業機会の不平等につながり、貧困は連鎖していっています。
―これはどこか遠い、自分とは関係ない世界の話でしょうか。
日本にも貧困の連鎖と不平等の構造は存在しています。
北九州で起きた餓死事件。ワーキングプア。子どもの給食費が払えない親たち。
ネットカフェで暮らす派遣労働の若者たち。格差に関する様々な報道は、
普段見えない先進国日本の中の貧困の姿を浮き彫りにしています。
それに対して社会保障は十全に機能しているとはいえません。
貧困層出身者の学歴は、日本全体では97%が高校に進学するのに対して、中卒者が2割を占めます。
残りの8割は高卒で、大卒はほとんどいません。生活保護受給家庭の子弟の大学進学は、認められていません。
学歴は、就業機会に大きく関係します。
社会における経済格差自体は否定されるものではありません。
しかし、社会的構造によって貧困が生み出され、
それが世代間連鎖しているとしたら―親の所得によって、就業機会・収入の不平等が生み出され、
そして親となってまた子どもに貧困という制約を課すことになっているとしたら―、それは問題ではないでしょうか。
それを解消できない社会保障制度は、改善されるべきではないでしょうか。
本テーブルでは、まず事前勉強会でインド・モンゴル・日本の具体的な「貧困」の事例を紹介し、
貧困とは何かについて考える契機を設けたいと思います。
そして本番では、日本の現状と制度上の問題について、
憲法25条・26条を端緒とする(広義の)社会保障制度関連法規の孕む問題について概観した後、
特に教育機会に関するアプローチを取り上げます。
生活保護受給世帯の子弟の「大学進学の是非」を切り口として、
機会の実質的な平等とは何かー社会保障制度はどこまでカバーすべきかについて一緒に考えたいと思います。
「平等・公平」という法が理想とする概念を、具体的な問題との関連の中で問い直し、 より良い社会の在り方について、既存の制度に寄り添いつつ、具体的な方策をいっしょに考えてみませんか。


