Table1「外国人の生存権-グローバル化時代の歪みを考える」
Table Coordinator
青島 新(早稲田大学法学部2年・写真左)
Assistant Coordinator
吹野 加奈(早稲田大学法学部2年・写真右)
現代はグローバル化の時代と呼ばれ、人とモノが国境を越えて移動しています。
そうした中で、従来の「国家」という枠組みによって国際社会を捉えていては解決できない問題がたくさん生じています。
その例として、「国籍法」の違憲訴訟や違法滞在のフィリピン人の強制送還問題などは耳にしたことがある人も多いでしょう。
それらの問題は「彼ら」の問題であって、「私たち」の問題ではないと考えてはいませんか??
もちろん、「彼ら」は自分の知り合いでもなければ、日本人でもない「赤の他人」ですから、
そんな「彼ら」のことを一生懸命考えるのは、とても難しいことです。
しかし、今後グローバル化の進展はますます進み、人の国境を越えた移動はますます活発になってきます。
そのような時代に生まれた私たちは、外国人と社会生活を共にする場面が増えてくることでしょう。
外国人の人権についての理解と考察を深めることが、彼らと共生する上で重要になってくることは間違いありません。
私達のテーブルでは、日本に滞在する外国人の生存権の保障について扱います。
日本国憲法25条では、「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利として生存権が保障されています。
憲法とは本来、国家と国民の関係を定めたものであります。
すると、この権利は日本国民ではない外国人には保障されることはないのでしょうか??
ここでいう外国人には、「不法滞在」の外国人も当然、含まれています。
現在日本には、多くの外国人が生活しています。
しかしながら、「最低限度以下の生活」を送ることを余儀なくされた場合であっても、
ただ「外国人である」という理由だけで、何らの法的な保障もされないのです。
法的な保障とは、生活保護法などのように生存権を保障するための具体的な法律のことです。
しかしながら、すべての個人が人間としての固有の価値を認められ、尊重されるには、「最低限度の生活」を送ることは必要な条件です。
言い換えれば、「個人の尊厳」を侵さないために、「最低限の生活」を保障することが重要となるのです。
では、そのような「最低限度の生活」を送る権利である生存権の保障は本当に外国人にも及ばなくて良いのでしょうか??
私たちのテーブルでの議論や考察を通して、一緒に「彼ら」である外国人の人権について考えてみませんか??
このテーブルを通して、参加者の皆さんの中で「彼ら」の問題を「私達」の問題として感じてもらえることができたら、嬉しい限りです。
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