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Table Yellow:「許された死」~軍隊制度(徴兵制・志願制)から考える~
Table Coordinator:勘解由小路 雄一(早稲田大学法学部2年) 「死」とは、生命活動の不可逆的な停止です。 そのため、「死」をいかにとらえることかを考えることは、その国の文化・歴史等を理解する上で重要になります。 さて、人為的な死はおおよそ国家により許容されることはありません。 特に近代立憲国家にとって、個人の生命は他の何にもかえられない至上の価値を有しているとされ、 人命を脅かす行為はそのほとんどが重大な犯罪としてとらえられています。 しかし、近代立憲主義国家において、国の制度で、職務遂行上起こる可能性があり、 かつ国が責任を問われない「死」がいくつか存在します。 これはその制度のもとでは、国家が個人の死を許容していると考えていいでしょう。軍隊制度もその典型であると言えます。 なぜ、これらの死は許されているのか。ここには、「死」や「国家と個人」といった問題が関わるため、 この問への答えには、各国の文化・歴史等を背景とする価値観が色濃く反映されるでしょう。 そのバックグラウンドとなる文化・歴史は各国によりそれぞれ異なっており、完全に一致することはありえません。 そのため互いに理解し合うには、近代立憲国家である各国が共通して持っているはずの人類の普遍的価値たるべき 自然法的なものの考え方によるしかないでしょう。 つまり、自然法を判断の根幹として、“なぜ、「許された死」は許容できるのか”についての共通の理解を模索するしかないのです。 そして、この共通理解の構築は、文化・歴史といった根源的なバックグラウンドを越えるものとして、 両国が真に理解し合うことにとって重大な意味を持つことになります。 そして、互いに異なる制度をもつ国の当事者であり、なおかつこれからの両国の未来を担う学生の私達が、 真剣に議論をし、理解し合う土台を構築することは、両国の真の友好関係の構築にとって非常に意義深いことです。 そこで、私達のテーブルでは、両国の軍隊制度(徴兵制・志願制)を通して、 「許された死」について国を超えた共通の理解を模索したいと思います。 それを獲得することは、互いに異なる文化、社会、歴史等をもつ両国が、「死」や「国家と個人」など、 人間にとって根源的なテーゼについて、普遍的な一つの価値観を共有することを意味します。 これは、両国のより一層の友好関係の構築に欠かせない、重大な一歩であると信じています。 |
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